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リヨンの洋菓子ブランド ヨコハマトリエンナーレ2017の 情報をデザインするということ デザイナー 中川憲造のヒミツ ピクトグラム制作についてインタビュー掲載 新しいチョコレートブランド 掲載されました 掲載されました 横浜グラフィックアート・ (社)日本自動車連盟 クレイジーケンバンドとコラボレーション
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節約にして最大の効果を、という市場経済の考え方が世界を闊歩しているが、ポラーニ・カーロイ( Polanyi Karl・1886-1964)というハンガリー名の経済人類学者はいう。人々の経済活動は、単に功利的な利益を求めているだけではない。一方で、贈りものを届けたりその返礼を受けることで、お互いの絆をつくり出している。人と人、個人と集団の関係を、贈りものが橋渡しをしている。「互酬」と呼ばれるこの相互的贈答システムは社会をまとめる形のひとつで、それぞれの集団間の結束と連帯を醸成して固有に進化・発展してきた。 贈りものは経済取引と違い、つねに返礼の義務を生むため、ヨーロッパでは都市の発達した中世以降、贈答は貨幣経済に取って代わられた。中世フランス語に、贈りもののことをラテン語donumに由来する「don・ドン」お返しを「gueredon・ゲルドン」という。don がgueredonを喚起することから使われなくなり、のち17,18世紀には贈りもののことをあらわすのに「présent」を用いるようになった。さらに現代では飾り文字を意味する「cadeau・カドー」の語があてられている。cadeauは食事の際に室内楽を提供することも指し、お返しの拘束力の少ない気軽な贈りものを指す言葉となった。ついでに、ゲルマン語の「gift」は贈りものをあらわすと同時に「毒」の意味も持つ。 さて本題。日本の「土産」は移動にともなう贈りもののこと。列島はタテに長い。北海道から南西諸島まで、その景観・物産は変化に富んで多彩だ。旅はこの豊かな地域のタカラモノに触れる機会を提供する。郷土にはない珍しいものや不思議を買い求め、これを持ち帰る。旅行中の見聞や体験したことを、友人や親兄弟に「みやげばなし」として聞かせるのに、この土産品…みやげが話題をふくらませる。みやげにはそれぞれの地域の気候風土や文化、ものがたりが伏在しているから、みやげを贈られたものは「みやげ」を媒介にして旅を追体験できる。みやげは、また手みやげとして、この地から彼方へ持っていくもの。オラが郷土の季節の産品・菓子などを手に、未知の訪ね人への贈りものとする。さほど高価な物ではなくとも、贈られる側はそのものを介して、来訪者の地の「ものがたり」に触れて心和む。 モノを介して「何か」を伝える。日本人の非言語によるコミュニケーションの得意とする分野かもしれない。細やかな心情を、モノに託して届けるのにふさわしいメディアとしての役割が、みやげに期待される。みやげはモノがモノとしてあるだけでなく、人と人の間に橋を架け、またメディアとしてこの地、彼の地の情報を伝える役割を果たす。非日常に身を置いた旅人は、その見聞をみやげとして持ち帰るのに、珍しいもの可笑しいものをその種子として求めた。江戸時代の浮世絵なども、いまでは高価な「美術品」となっているが、当時はその地のもっとも安易な「みやげもの」だったに違いない。とはいえ当時の最先端の印刷技術や流行絵師による出版物としても一級であり、一個のみやげものを超えて、いまにその魅力が伝わる。 交通の発達は人の移動を容易にしている。速いだけでなく、スローな客船の旅もある。かつてない多様な移動手段は、観光を多彩にして旅のたのしみをひろげる。そこここで見つけるみやげものを、コミュニケーションのメディアとして見直してみる。はたして、そのみやげは江戸の錦絵を超えるものだろうか。旅先のものがたりを語って余りあるだろうか。ご近所の者を感心させたり、びっくりさせたり、はたして「たのしい毒」となり得ているだろうか。みやげもののデザインにも私たちは眼を向けたい。 タイポグラフィックス・ティー 第253号 再録
横はま見やげ
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